平安時代、京都を舞台に暴れ回ったとされる鬼、茨木童子。マンガ「ぬらりひょんの孫」や「モンスターストライク」などのゲームにも登場するのでご存知の方も多いかもしれません。
歴史的には、酒呑童子の主な片腕として、また、渡辺綱との闘いや陰陽師安倍晴明との伝説などが語り継がれています。いったい茨木童子とはどのような鬼だったのでしょうか?
「茨木童子」とは
茨木童子(いばらきどうじ)は、京都の大江山を住処として暴れまわった鬼の一人です。
彼はもともと人間でしたが、鬼となった後は、鬼の頭領である酒吞童子(しゅてんどうじ)の最重要な家来となり、酒吞童子や仲間たちと一緒に京都中を荒らし回っていました。その後、彼ら鬼軍団は、源頼光と4人の家臣たち(頼光四天王)によるだまし討ちで滅ぼされてしまいましたが、茨木童子だけは生き延びたとされています。
「茨木童子」の誕生
茨木童子が生まれたのは、越後国という説と摂津国という説の2つがあります。
越後国説としては、そもそも茨木童子は酒呑童子と同じ越後生まれだとするところから発せられているようです。新潟県のある地域には、茨木童子と酒呑童子が相撲をとったという場所があり、実際に茨木童子を祀る祠が存在しています。そしてこの地域には「茨木」姓が多いのです。
酒呑童子同様、茨木童子も美少年として大変有名でした。あまりにモテモテだったので将来を心配した母親によって弥彦神社に送られてしまいます。ある日、茨木童子が実家に帰った折、行李の中にあった「血塗りの恋文」を見つけてしまいます。これは母親が隠していた茨木童子あての恋文でした。その血を指で一舐めしたところ、なんと彼はいきなり鬼と化してしまったのです。
同じような境遇で鬼と化した酒呑童子と知り合い、意気投合し、いっしょに近くの村々を襲っていましたが、その噂を聞いた母親が、彼が赤ちゃんだった時の産着を着けて茨木童子の前に立つと、「二度とこの地を踏まぬ」と言い残して酒呑童子とともに京都に向かったと言われています。
摂津国説としては、大阪府茨木市の生まれだという言い伝えが由来のようです。
茨木童子は、生まれた時にはすでに歯が生え揃っており、すぐに歩き出して、母の顔を見て鬼のような鋭い目つきをして笑ったそうです。そしてこれが原因で母親が亡くなってしまった後、持て余してしまった父親は、彼を床屋の前に捨ててきてしまいます。捨てられていた茨木童子を見つけた床屋夫妻が彼を育てていましたが、床屋の仕事を手伝ってもらっていたある時、童子は、かみそりで客の顔を傷つけてしまいます。あわてて指で血をぬぐい、指をきれいにするために血をなめたところ、血の味がたまらなく美味しく感じてしまい、それ以後わざと客の顔を傷つけて血をなめるようになったということです。そしてそれが癖になって、茨木童子は鬼になってしまったのでした。
以上、2つの説がありますが、現在では摂津国説の方が有名かもしれません。
「茨木童子」と渡辺綱との闘い
茨木童子が頼光四天王の一人である渡辺綱と一条戻橋や羅生門で闘った説話が、後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれています。
それぞれ細部が若干違いますが、だいたいの大筋は「渡辺綱が茨木童子の腕を切り落とすが、茨木童子は腕を取り戻しに綱の元へやってくる」というものです。
茨木童子VS渡辺綱の結果は、渡辺綱の勝ち、ということですね。しかし、負けた相手のところに何度も行って自分の腕を取り返した茨木童子もアッパレというしかありません。
「茨木童子」は女性だった?酒吞童子との関係
茨木童子とともに京都を荒らした鬼軍団のリーダー、酒呑童子。実は茨木童子と酒呑童子の関係にも諸説があります。その中には、実は茨木童子は「女の鬼」だった、という説があるのです。羅生門での渡辺綱との闘いの際に、女性の姿で現れたりしたこともあったのでこの説は無きにしも非ずといった感じでしょうか。さらになんと酒呑童子とは恋人同士だったという説もあるようですよ!
まとめ
今や「鬼」といえば「鬼滅の刃」ですが、元祖「鬼」である茨木童子や酒呑童子のこともぜひ知っていてほしいです。また、鬼たちを倒した頼光四天王の話もかっこいいですよね!