江戸徳川家が作った豪華船、安宅丸。あまりに大きく贅沢な作りだったため威厳たっぷりな存在で、観光名所にもなっていたようです。さらに、当時だけでなく現在もアップデートされたクルーズ船、安宅丸が東京湾に浮かんでいます。そんな安宅丸ですが、実は妖怪だったという説もあるそうですよ・・・
安宅丸とは
安宅丸(あたけまる)は、17世紀前半の江戸時代、徳川家光が向井将監に命じて新造した軍船形式の御座船です。別名は天下丸といいます。
安宅丸は、徳川家のプライベート船ではなく西の攻撃から守るために威信をかけて作られた軍船としての船でした。この船は当時、世界的に見ても大変な大きさのものだったようです。「安宅(あたけ)」とは、中近世の日本の軍船のうち大型のものを指した安宅船(あたけぶね)から来ています。
しかし、あまりに巨大であったため、推進力が不足していて実用性に乏しく、将軍の権威を示す以外にはほとんど機能しなかったと言われています。維持コストがかかるために約50年ほどで解体されてしまいましたが、文献などによると、その豪華さを一目見ようと人が押し寄せ、江戸の観光名所にもなっていたようです。
御座船とは
御座船 (ござぶね)とは、日本の歴史上、天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための豪華な船のことです。
御座船は、時代や用途、乗る人によって型が異なります。上部の構造物だけでも数種あり、茅葺きや檜皮葺きの素材に千木や鯱が載るなど、屋根にも様々な組み合わせが存在します。一様に豪華で優雅な外見だったと考えられます。
江戸時代において、御座船はおもに参勤交代に用いられたほか、琉球使節の江戸上り・朝鮮通信使の送迎にも用いられました。また、徳川将軍家は安宅丸の他にも大阪に4隻の御座船を常備していたということです。
妖怪「安宅丸」
また、安宅丸には妖怪としての一面もあったようです。
志のない者や罪人を乗せると唸り声を上げて拒否したといわれ、使われなくなって深川御船蔵に抑留されたままだった時には、夜になると「伊豆へ行こう、伊豆へ行こう」と騒いだといいます。伊豆は安宅丸の作られた場所でした。ある嵐の夜、安宅丸は勝手に出航してしまいます。そして三崎沖で捕まり、その後解体されました。こうして安宅丸による怪奇現象は終わったとされましたが、売りに出された解体された廃材を使った家の女性に安宅丸の霊がとり憑き、狂ってしまったという話が残っています。
東京湾に浮かぶ現代の安宅丸
安宅丸の外見を模した豪華和船で東京湾クルーズが楽しめるって知ってましたか?
実在した安宅丸の船内装飾は不明ですが、その影響をうけた後世の御座船(貴人の船)にならった豪華絢爛な要素に現代要素を取り入れた歴史浪漫あふれる船内が体験できます。
また、レインボーブリッジやスカイツリーなどを一望できるクルーズ、船内のステージ、豪華な料理など、現代に生まれ変わった安宅丸は最高のエンターテインメントを提供してくれますよ!
浅草や日の出桟橋などの発着で遊覧をしているのでぜひ乗船したいものですね!!
(2020年11月現在、制限あり運行中)
「御座船 安宅丸」
まとめ
江戸時代に御座船としてその豪華な姿で人々を魅了していた「安宅丸」。解体されたのちに安宅丸=妖怪伝説も生まれましたが、それほど世間で有名だったのだとも言えますね。安宅丸は、令和の今になっても新しいクルーズ船として活躍していますから、また新しい伝説が生まれることもあるかもしれませんね・・・!