やまんもとごろうざえもん?・・・いえいえ、実はさんもとごろうざえもん、と呼びます。山本さんの祖先かと思いきや、あまり関係ないようですよ。
妖怪「山ン本五郎座衛門」とは
山ン本五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)は、江戸時代中期の日本の妖怪物語「稲生物怪録」に登場する妖怪山本五郎左衛門のことです。「稲亭物怪録」には「山ン本五郎左衛門」とあるので、こちらの表記の場合も多いようです。
山ン本五郎左衛門は、魔王として君臨し、妖怪たちを引き連れる頭領であったと言われています。
「稲生物怪録」では以下のような話が載っています。
山本五郎左衛門がけしかけた妖怪たちによって、主人公の稲生平太郎の周囲で怪異現象が頻発しましたが、平太郎はものともしませんでした。あきらめた五郎左衛門は武士の姿で現れてその勇気を称え、これ以上の怪異を起こさないことを約束します。
実は五郎左衛門は、ライバルの神野悪五郎と魔王の頭の座を賭けて勇気ある少年100人を驚かせる勝負をしており、その86人目が平太郎だったのでした。五郎左衛門は、今後悪太郎が現れた時はこれを使って自分を呼ぶようにと平太郎に木槌を与えて去って行ったそうです。
稲生平太郎、のちの稲生武太夫は実在した人物で、この木槌は広島市東区の國前寺に寺宝として後に伝えられています。
ちなみに、外見は三つ目の天狗とされる五郎左衛門ですが、仮の姿だということ。どんな姿だったのか気になりますが、この話の挿絵として、妖怪たちを引き連れて籠に載って帰還する五郎左衛門の正体が描かれています。と言っても、籠から突き出た巨大な毛むくじゃらの足だけなのです・・・。
他にも日本の魔王はいる
日本の妖怪&魔王として他にも、上記の「神野悪五郎(しんのあくごろう)」がいます。
怪談『稲生物怪録』で、山ン本五郎左衛門が語る中に登場し、昨今では、映画『妖怪大戦争』に広島の妖怪として登場しています。彼は、魔物たちを束ねる魔王の一人であり、その支配はインド・中国・日本という広い範囲にまで及びました。山ン本五郎左衛門と魔界の覇権を争いましたが、妖怪大翁の仲裁によって現在は山ン本とともに大翁に仕えているそうです。頭の回転が速く討論をさせると妖怪中でナンバーワン!だということですよ。
実は日本の歴史上、他にも「魔王」と呼ばれた人物たちがいました。
特に「第六天魔王」と自ら名乗ったのが、かの戦国武将・織田信長と南朝の初代天皇・後醍醐天皇です。
「第六天魔王」とは、仏教で欲望にとらわれた生物が住む世界「欲界」の悪魔のことを指します。他人の楽しみを自分の楽しみとして受け取る力を持つとされている欲界六天の一人で、恐怖政治を行なった為政者などをそのように呼んできたという説も。
日本では古くから、第六天魔王を祀る民間信仰も盛んだったようで、欲望で人を誘惑する魔王は、逆にいえば不老長寿や快楽をもたらしてくれる神様でもあったのです。
ぬらりひょんの孫
椎橋寛による「ぬらりひょんの孫」は、「週刊少年ジャンプ」連載された妖怪を題材とした人気少年漫画です。
この中で江戸百物語組の組長として山ン本五郎左衛門が登場しています。
魔王と呼ばれる巨怪であり、もともとは江戸時代の人間で、全てを手に入れた大富商として君臨していました。自分で創作した「怪談」を広めたり、畏を「百鬼の茶釜」に集めることを愉しみとしており、その釜からの茶を国の要人に飲ませて世を支配しようと企んだりする外道でしたが、野望達成を目前としたところで百物語の最中に転落死してしまいます。しかし、死の間際に自分を百番目の妖怪として書いて魔王・山ン本五郎左衛門に変貌したのです。
ストーリーの裏で暗躍する魔王キャラクターとして有名ですが、この名前のインパクトで覚えている方も多いかもしれませんね。
まとめ
山ン本五郎左衛門・・・魔王と言えどもそこまで恐ろしい妖怪ではなかったようですが、「ぬらりひょんの孫」ではなかなか悪い妖怪として描かれていますね。それにしてもここまで人間っぽい名前の魔王妖怪はライバルの神野悪五郎以外はいないのではないでしょうか?(どっちも印象的な名前です・・・)